バースデイ ...... 13
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 しばらく脱力感と余韻に浸っていた自来也だったが、やがて身を起こし、立ち上がった。
 脱いでいた浴衣をもう一度身に付けて、一旦部屋を出る。
 濡らして硬く絞った手拭いを少しと、水を入れた急須を手に帰ってくると、ナルトは既に元の姿に戻ってしまっていた。
 出来れば汗を拭いて、身体に痛めた箇所がないかどうか確かめながら労わってやりたいと思うのだが、意識がある時は、なかなかそれをさせてくれない。元の身体に戻れば、肌や内器に残した名残も何もかも、全部幻と化してしまい、消え失せてしまう。
 自来也はため息をついた。
 便利な術だと思う。便利過ぎて問題があるような……さらに罪悪感が募るような。妙な気分だ。最中、開き直って楽しんでいる立場では何も言えたものではないが。
 里に帰れば、ナルトが相手探しに困ることはまずないだろう。誰もが彼を欲しがるに違いなかった。
 座って脇の卓に急須を置き、手拭いを携えて横たわっている相手に近付いた。身体に籠った熱はそうすぐには引かない。少年の身体に戻っても、汗は止まらないはずだ。
 様子をうかがいながら、そっと、短くなった髪をかき上げ、汗ばんだ額にひんやりとした布を添わせる。
 気持ち良かったのか、しばらくは拭かれるがままになっていたナルトだったが、やがて手拭いを掴み、身体を起こした。
「いいよ、自分でやる」
「そうか」
 自来也は、名残惜しさを圧し殺し、手を離す。
 背にした相手には聞こえないよう気を付けながら、一つ、溜息を落とし、別の手拭いを手に取って後ろを向いた。

 
 自分の身体の熱とは違う熱をもつものを、奥まで流し込まれながらナルトが感じるのは、これで終わってしまうという阻止しようのない現実だった。いくら鳴き喘ぎながらのたうちまわったところで、引き止める術はない。相手もかなり未練たらしく、出来るだけ長く中に留まりたがるけど、終わればやがてそれを引き抜いて去ってしまうことに、変わりはなかった。
 独り、取り残されて、している間は埋められていた空隙が、またぽっかりと穴を開ける。身体のその部分だけではなく、心にも。
 次はいつになるのかは、わからない。次はもう無いかもしれない。修行の進捗に関わらず、どこかで何か予測し得無いことが起こり、目算が狂えば、全ての計画を中断して明日にだって里に戻ることになっても、少しもおかしくないのだ。
 そうなったら二人きりの旅も終りだ。誰にも秘密の二人のこの関係も終了となる。ナルトはいつも、これが最後だと思ってすることにしていた。
 初めてのお祝いの日が終わってゆく。
 今日は、本当に一生忘れられないような日になった。
 横で身体を拭いている相手の気配を感じながら、もう少しだけ傍にいたいと願う。
 せめて、眠りに就くまでの間、寄り添って横になってもいいだろうか。もう一度感謝を述べる機会は来るだろうか。
 言い知れぬ寂しさに胸を塞がれ、目を伏せる。あんなにたっぷりと与えられて、まだこんなにも寂しいとはどういうことだろう。別にどこに行くわけでもなく、彼はそこにいるのに。
 わかっていることだが、やはりナルトにはいつも足りないのだった。自覚があっても何の足しにもならないとでも宣告を受けたかのようだ。こんな時は特に、身に沁みて不足を感じる。
(どうしろってんだよ……)
 離れていかないで、もっと傍にいてと、今そう取り縋れば、自来也は必ず叶えてくれるだろう。言葉と態度と行動は誤りなく、その時のナルトを簡単に満足させ納得させてしまう。そうやって、幸福は空気のようにあまねく存在するのだと教えられた。
 しかし、それで過去に負った心の傷が塞がるかと言えば、そうではない。
 何か解決の方策が見えるようになるかと言えば、そうでもない。
 いつまでも足りないのには原因があって、ナルトは、充たされれば充たされるだけ、思い知ることになる。
 今悩んでも仕方のないことだ。恐らく口にしたところで、相手を困らせるだけだろう。
 小さく息を吐いた。
 本当は、意識を失ったまま眠りに就いてしまうのが一番楽だと思う。朝起きた時に決まりが悪い思いをするが、事後の寂しさにこういう思いをしなくてすむ。
 滲んだ汗は徐々に引いて行き、ナルトは手拭いを使う手を止めた。
 そのまま額を敷布に当ててうずくまる。


 しばらく身繕いに専念していた自来也が、ふと振り向くと、ナルトはとっくに手拭いを放り出して、布団の上で身を丸めていた。
(……?)
 もう眠らなければならない時間だ。うつ伏せになって寝ていた、というのなら、まだ分かる。それに、水を飲んで水分も補給した方が良かった。しかし、そういう状況ではないことは、一目でわかった。
 何か、尋常ではない変化が起こっていることは確かだった。
 ナルトは、蹲っている。
 何かを堪えるように、身を縮めて震えている。
「……どうした……?」
 問えば、
「……なぁ、エロ仙人」
 答える声音は、更に自来也を仰天させた。その声は涙に濡れ、喉に絡まって引っ掛かり、酷いことになっていた。
「ナルト?」
「離れて行かれるのって、さ」
「え?」
「オレにとっては、すげー……ツラくて……。エロ仙人はさ、ずっとオレのことすげー考えていつも見ててくれて。それは……ちゃんとわかってんだけど」
「……」
 何を言わんとしているかは、何となく、解らなくはなかった。思い当る節はある。している最中に身体を離すと嫌がって、行くなと訴える。あの、時折垣間見せる彼の怯え。
 ついさっきまで、確かにナルトの機嫌は良かったはずだ。笑ってさえいた。
 なのに、あのあと離れて……それから、ほんの短い間のうちに、また何やら様々に悲観的な思考に囚われて、あっというまに落ち込んでしまったのだろうか。
「どう考えたって、このぐらいのこと、平気にならなきゃ、ならねーのに。ど、したら……慣れるのか。慣れなきゃ、進歩しねーんじゃねーか、とか」
 貯め込んだ想いを吐き出すように。
「でも、嫌なものは嫌だ。離れたくない。一緒にいたい。いてくれる人なんて、滅多にいない。そればっかり。行かないでって言う以外、何も選べねぇよ。いつも、辛い。……みんな、こうなのか? こういうこと、誰でも悩んでんの?」
 真夜中に紡がれる言葉は、常に彼を捕えてはなさない、深い苦悩の内側だった。
「ホントは……いくら強くなったって、それが分かってなかったら、何も変えられないんじゃねーか……?」
 喪失を恐怖する、その理由。


 答えは、見えない。
 出口はあまりにも遠く、見当もつかなかった。


 今、抱きしめて甘やかして安心させてやるのは、簡単だ。誕生日の祝いの日にまで、そう悩むな、と。
 でも、ナルトが欲しているのは、そういうことじゃない。
 彼はそういう人間だ。
 この子が、この子の人生が必要とする言葉には、誤魔化しの入る余地は一切ない。
 伸ばしたくなる手を、近付こうと向き直った身体を、止める。息を吐く。
 瞑目した。
 自来也は考える。
 かつて自分が味わったような、辛くて苦しくてみじめな思いは、本当は、他の誰にも、させたくないと。
 せめて、自分より下の世代の者たちのことぐらいは、そういう痛みから守ってやりたいと。
 到底実現不可能な、大き過ぎる望みだけれども、それは自来也の無意識の内にいつも在るものだ。里の若い者と接するときは特に、その思いは強くなった。


 そう、現実は……不和や軋轢は、あたかも、空気のように普遍的に存在するものかのように、続いてゆく。
 絶え間なく連鎖し、どこからか侵食し、それはこの子たちの世代にも及んだ。
 ナルト個人だけの問題ではない。
 厳然と在る、断絶と怨嗟。闇から闇へと葬られ、隠されては抹消される真実。
 伝わらない想いと、言葉……。
 幼いうちから、痛みと悲しみに打ち捨てられ、孤独や裏切りや疑いに引き裂かれる。
 自分たちを取り巻く世界を支配する、その膨大な量の声無き苦悩、聞こえることのない助けを求める叫びが、止むことは未だ無い。


 窓から差し込む月の明りに目を滑らせながら、呟くように応えた。
「それは、ワシにもまだ分からん」
 でも。
 もしかしたらこの子たちには、分かる時が来るのかもしれない、と。答えを得ることができる日が、来るかもしれないと。
 頭の片隅ではいつも願っている。そう信じたがっている。


「まぁ、分らんからと言って、諦めたわけじゃぁ、ないんだがのォ……」


 月を見上げ、想いを馳せた。





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禁・無断複写転載転用 リーストアルビータ