空の色を埋める ...... 02
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 教本を部屋で読むのは嫌だ、とナルトは思う。
 特に術の解説は、実際にやってみながら読まないと、全然頭に入らないし、身に付くような気がしない。
 アカデミーの図書館や火影邸の文書庫では大抵、肝心なことが書いてある重要な本や巻物になればなるほど、それは貸与厳禁の閉架である場合が多く、野外に持ち出すなんてとんでもないことだった。影分身を覚えた時のような充実感は、そう簡単には得られない。
 しかし今、自来也から与えられている書物の数々には、そんな堅苦しい規制は無い。どれもみな、すぐに試してみたくなるような内容が濃い実用的なものばかりだ。
 いつもなら外で紐解きつつ実践できるだけに、こんな暴風雨の日に部屋の中でじっと座って読むのは、ナルトにとって拷問に等しい。瞑想なんてもっとごめんだ。せっかくのイメージトレーニングも、すぐにトレースしてみることができないのなら、同じことだ。
 忍具の手入れが残っていれば、課題など放り出して、細々した自分の用事を片付ける、という時間の潰し方もあるのだが、残念なことに昨晩あらかた終わらせてしまった。苦無や手裏剣は全部ピカピカに砥ぎ上がり、ワイヤーや煙玉その他諸々の仕込み道具も予備の分まで完璧に揃っている。もともと手入れはまめな方だから、今更やらなければいけないことなど殆どなかった。


 仕方なく、教本は無理やり目を通すだけ通し終えて、校正に取り掛かることにした。
 これもまた面倒な仕事だ。
 人並みの国語力があれば誰だって出来る、と師匠は言うが、内容が内容だ。ナルトにとっては本当にどうでもいいと思えるような一字一句を、いちいち辞書を引いて正誤を質さなければならないし、字数や行数、頁数の計算も作業の中に入っている。それ以上に、師匠の字は下手ではないが、いわゆる達筆で癖が強い。ナルトはそれを読み解くところから始めなければならなかったので、だんだん慣れてきたとは言え、億劫なことこの上無い。
 それでも弟子という身分である以上、従うしかなかった。
(なんだかな)
(勝手に期待したオレが、バカみてーだし)
 自来也は、そんなことはないと言ってすぐ否定していたが、実際には全然手を出してこない。
 事前に天候が崩れると分かったから、少しいい宿を取ってゆっくりしようと言い出したのは彼の方だ。
 部屋に入るなり、ここなら快適に過ごせそうだと、ナルトを抱え込んで相好を崩していたのは、つい昨日のこと。
(こんなことしてるうちに、二日目も終わっちまうのかー……)
 つまんねぇの。
 思わず口に出しそうになったが、ぐっと堪えた。


 身体を繋げることを教えられてから、どのくらい経っただろう。
 機会は、それほど多いわけではない。何日も掛けて街から街へ、山から山へと長距離を移動し、逗留地では毎日、疲れ切るまで修行に打ち込むから、実際に二人がゆっくりとくつろいで過ごす時間など、あまりない。
 ナルトは特訓に集中し始めると、夜が更けても、そして朝は陽が昇るより早く起きて、課題に取り組む。なかなか目標クリアに至れず、上手くコツも掴めずに七転八倒している間はもっと悲惨だ。食べることも忘れるし、自来也のことすら頭から吹き飛ぶ。
 力が入り過ぎて夢中になってしまうと、時には自来也が身体を張って制止を掛けなければ、命にまで危険が及ぶことすらあった。
 だが、そうやって極限まで自分を追い込む癖のあるナルトを師匠は良く解っていて、休む時は徹底的に休ませる。
 何週間か前に、雨で宿から出られなかった日のことを思い出す。
 一日中。それこそ昼も夜もなく、隙さえあれば膝の上に乗せられ、そうでなければ寝具に引き込まれて、ひたすら抱かれた。
 余りにも長時間、強い快楽が続くのが怖くなって、やめてほしいと頼んでも聞いてもらえず、安心して任せればいいとだけ繰り返し告げられた。それならばと我を忘れて甘えても、全て許された。
 あんな自堕落な時間の過ごし方、一度でも体験してしまったらもう駄目だ。
 欲しがらなくても充分に与えられる、ということ自体が初めてだった。そこまでのことをナルトにしてしまえるのは、間違いなく自来也だけだ。
 つまり、今回もあの時のように構い倒してもらえるのではないかと、一人盛り上がってしまったのだが。
 どうやらそうではないらしい。
 そこまで世の中、甘くないと言うことか。
(そりゃ、あんなスゲーこと頻繁にしてたら、イケナイよな……)
 すごく不埒で、ふしだらな行いだとは思う。でも、泣き出してしまうほど幸せで嬉しくて、ナルトには必要だった。
 次は、いつしてもらえるのかと。
 聞いてみようか。
 でも、今はダメだ。
 がっかりだ。つまらない。
(諦めろとか言うし)
 そう言われれば逆に、絶対諦めたくなくなるナルトの性格をよく知っているはずなのに。
 ひでぇな、まったく。
 口を尖らせて拗ねてみても、今、背後の気配が自分を振り向くことはない。
 畳上に広げた草子紙を捲りながら、知らず溜息を吐いた。


 一人で過ごすことなど、慣れていたはずだ。
 放置など、当たり前だった。
 ナルトを構う人間自体が存在しなかった。
 あの真っ暗闇は、今でも思わぬリアルさでナルトを背後から追いかけて来て、足を引っ張る。
 時折、こうして過ごしている今が全て夢で、本当は自分はずっとひとりぼっちのまま、あの暗闇の中にいるのではないかと。
 不意に前触れもなく、そんな気持ちに襲われることがある。
 里での一人暮らしの生活では、それは日常茶飯事だった。嫌な悪い夢からやっとのことで抜け出し、目を覚まして我に返ると、朝日はまぶしく時計は動いていて、ナルトは急いで支度を整え、待ち合わせ場所に向かう。そこに行けば、もう独りじゃない。班の仲間と朝の挨拶をして、部下たちをいつまでも待たせる先生を待って、三人で時間を過ごす。そうやって現実を噛みしめるのが、ナルトの毎日だった。
 今は違う。一人で目覚めることはない。例え野宿で交代の不寝番であっても、狭い安宿でも、街道外れの廃墟でも、真っ暗闇に立ち竦むナルトを現実に引き戻すのは、隣にいる師匠の気配だ。
 常に傍に誰かがいる。こんな生活は今まで無かった。
 だからこそ。
 二人で同じ部屋に、一緒にいるのに、放っておかれる。そのことが、これほどまでに自分から気力を奪うなどとは、考えも及ばなかった。
 これも自来也がいなければ、経験できないことの一つではあるけれど。


 すっかり深く考え事に沈んでしまって、文章など読んでいられる気分ではなくなった。
 里での任務前の集合のことまで思い出してしまうことになり、頭を抱える。
 思い出は、ナルトの気分を酷く掻き乱す。


 もう、戻れない、日々。


(違う)
(取り戻すんだ)
 次の瞬間には、ナルトは無意識に立ち上がっていた。
 じっとしていられない。
 でも外は雨。
 熱い湯にでも飛び込めば、気分は変わるだろうか。
「風呂行って来る」
 返事も聞かずに部屋を飛び出した。









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